「潮屋」老舗和菓子屋 - 宮様まんぢう・和菓子 公式オンラインショップ

宮様まんぢう

宮様まんぢうとは

「一期一会」

変わらず、このままで在り続ける。

「一期一会」の書は京都・妙心寺管長であられた倉内松堂老師から頂いたものです。
ある日、老師が静岡市の臨済寺で鬱々とした日を過ごしていた際に、毎日通いつめていた潮屋の主人から、『三保の松原を望見した時に「このままでよい、このままでよい」としみじみ感じたものだ』という談を聞き、「平凡の心」を悟り得たというエピソードがご縁で頂いた書です。

この書を頂いて以来、変わらず一期一会の気持ちを忘れることのないよう店頭に飾り、常に心に刻みこんでいます。

写真:昭和32年の「潮屋」

「宮様まんぢう」の由来

明治時代、或る宮様が興津の清見寺にお泊りになられた際、幼少であった宮様も食べやすいようにと、酒まんじゅうを一口サイズに小さくし、酒の香りも控えめに、餡の程よい甘さと調和させて作ってお持ちしたのが始まりです。

写真:昭和三十二年十月、静岡国体に行幸された昭和天皇が、興津の水口屋にご宿泊した際のお茶菓子としても宮様まんぢうが使われ、また陛下にもお気に召していただきました。

献上銘菓 「宮様まんぢう」

宮様まんぢうは米麹の、自家製酒種を用いた昔ながらの製法で、お酒の香りをほんのり感じる、一口サイズの酒まんじゅうです。

■まんぢう皮
自家製酒種で作った皮は、口元に運んだ時に優しく広がるほのかな酒の香りと、ふわりとした食感が特徴的です。創業当時より変わらず継承しているその酒種は、地元の麹店が作る米麹を使用しています。

■餡
一口サイズのまんぢうに、ぎっしりと餡が包まれています。餡は昔から変わらず独自の配合で作っています。和菓子らしい甘さを残しつつ、さっぱりとした味わいに仕上げています。

■蒸す
生地も餡も生きた素材を使うのであれば、天候や気温、湿気に細心の注意を払い、蒸し時間や蒸し加減も職人の目で確かめて作っています。

■大きさ
酒まんじゅうと言えば手のひらサイズや小判型が定番ですが、宮様まんぢうは幼い内親王のお口に合うようにと一口サイズで作られました。その大きさは現代でも変わらず、守り続けています。

興津の歴史

歴史の息づく宿場町、要人が集った別荘地興津

1300年も前から関が設けられ、その立地が政府にとって重要な場所として位置づけられていた興津(現在の静岡市清水区)。江戸時代には東海道における交通の要地で、風光明媚かつ海の幸が豊かな興津宿はとてもにぎわいました。明治から昭和30年代には、政治家、皇族の保養地として、また高級リゾート地として、多くの各界著名人が興津を訪れていました。特に「坐漁荘」という名の別荘を建て、晩年の20年余を過ごした最後の元老、西園寺公望のもとには「興津詣で」と呼ばれるほど多くの要人が訪れ、水口屋にはその面会を待ち続ける客人が後を絶えませんでした。

写真:坐漁荘

誰もが知る歴史上の
人物や有名人の名前が残っています

水口屋の宿帳には、伊東博文、井上馨、岩崎小弥太、福澤桃介、岩倉具視、原敬、吉田茂、富岡鉄斎、夏目漱石、黒田清輝、中村歌右衛門、与謝野晶子、古賀政男、志賀直哉、井上靖、山田五十鈴・・・などなど。
1947(昭和22)年、水口屋に滞在したアメリカ人将校オリバー・スタットラーは、そのもてなしに感激し、「JAPANESE INN」をアメリカで発行。水口屋は外国でも知られるようになりました。

写真:水口屋

あんこのふるさと

日本の製あん業発祥の地といわれる興津

興津・承元寺町出身の北川勇作さんが、明治時代あんこを作るための磨漉機(とぎこしき)や煮炊釜、豆皮分離器を発明し、同じ出身の内藤幾太郎さんと共に日本の製餡業の基礎を築き上げました。今気軽にあんこを楽しめるのは、その製あん技術があるからなのです。興津・承九寺町にある八幡神社には、「製餡発祥の碑」があり、製あん業技術の生みの親、北川勇作と内藤幾太郎の功績が讃えられています。そんな歴史があるためか、今でも興津の町には、菓子屋が多くあんこを使ったお菓子の逸品揃いです。

写真:製餡発祥の碑

興津の町と老舗・潮屋

写真:不動尊の神事

写真:清見神社の神事

潮屋は明治三十年創業。

以来、東海道の要所・興津の地で和菓子一筋に変わらぬ味をお届けしております。昔からその地の習わしやお祭、集まりなどでは地元の和菓子屋が良く遣われました。潮屋も地元・興津の皆様の様々な行事や催しでご愛顧いただいております。

■波切不動尊のみそまんじゅう
その昔、津波が興津を襲った時、不動尊像からの光が津波を真っ二つに割り町を守った伝説があります。不動尊の1、5、9月の大祭では、当店特製のみそまんじゅうが焼き印入りで限定販売されています。

■清見神社のおこわ取り
小田原征伐の途中で豊臣秀吉が清見寺に滞在し、大量の赤飯で兵の労をねぎらったという言われを清見神社の神事として継承し、現在に至っています。この祭りで奉納する巨大なお櫃の赤飯は当店で作っています。